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 ぶらり歩き  
 2.境川を歩く (10)                              平成14年8月10日
 7時30分を過ぎて陽射しもきつくなるが、青柳寺を後にして境橋に出る。この橋も町田に買い物で出掛けた折に何回も車で渡った馴染みのある橋である。
 次の下鶴間橋に向かう途中、境川に下水が流れ込む合流場所に、ものすごい数の鯉(写真26)が群れている。ここまで川を下ってくるに従い、目にする鯉の数が増えてきたが、この群れはまさにイモを洗うような混み様である。下水が流れ込む下水道のコンクリートの上をのんびりと散歩する2羽の鴨とは好対照である。
 鯉が濁った水に生息することを実感する光景を眺めていると、江戸時代の寛政の改革といわれた松平定信の緊縮財政に対して、前任者の賄賂政治といわれた田沼意次の開明先進政治を懐かしんだ狂歌、「白河の清き流れに住みかねて もとの田沼のにごり恋しき」を思い出す。もちろん「恋し」は「鯉」の掛け言葉である。

 単調な川岸を強い陽射しに照らされながら、境川を更に約1時間下り、泉龍寺にたどり着く。この寺は約400年前に建立された曹洞宗の寺で、寺の入り口に六地蔵(写真27)が置かれている。六地蔵は多くの寺に祀られているが、たまたま病気とケガで2回入院した叔母から、「病気のときには夢に6人のお坊さん、ケガの時はお地蔵さんが現れ、叔母の病気が完治するように念じてくれたり、ケガした腕を擦ってくれた」という話を聞かされたことを思い出す。この話を聞いた時に、六地蔵のことを叔母に話したが、叔母は六地蔵のことを知らないというので、六地蔵は六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)に遣わされた地蔵で、民衆を苦しみ、病気等から救うという言い伝えを話し、きっとすぐに全快して退院できるとと励ました。叔母はどちらかというと信心深い人間なので、こんな不思議な夢をみたのであろうが、これが正夢となり、しばらくして叔母は無事に退院し、今では元気な日々を過ごしている。
 境内には規模はあまり大きくないが、三重塔(写真28)が建っており、真夏の快晴の蒼い空を背景に躍動的な屋根をもつ美しい姿を見せている。

 
 
写真26(境川の鯉の群れ)
 
写真27(泉龍寺 六地蔵)
 
写真28(泉龍寺 三重塔)

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